僕もどさくさに紛れていろいろ書き込んだのだが(もちろん変名)、参加者の大部分は非常にサッカーをよく知っていて、誰かが「以前にこんなことがあったような」というようなことを書き込むと、すぐに「それは何年のどこそこでの大会でのだれそれのプレイだ」と指摘が入る。しかもそのときの映像がすでにYouTubeに上がっていたりする。これはなかなかに面白い経験ではあった。
で、肝心の頭突き事件についてだが、何しろ今の時点では一次情報が少なすぎて何を言っても憶測の域を出ない。マテラッツィ選手が口を開きはじめてはいるが、言っている内容はと言えばただ自分が被害者であることをアピールしているだけであって、要するにファウルをもぎ取るための倒れる演技と同じである。したがって、それをそのまま鵜呑みにすることはできない。
マスコミ各社は読唇術まで駆使して詳細な調査をおこなっているが、おそらく、マテラッツィ選手がジダンに対して、彼の民族的バックグラウンドにかかわる侮辱的な言葉を吐いたのはほぼ間違いないのではないかと思う。これは最初にTVで見たときにすぐにピンときた。僕自身、アメリカにいたときに人種差別を実際に受けた経験があるからかも知れない。また、ジダンの家族にも絡めて侮辱したのではないかという推測もなされているようだ。
FIFAは最近、正式に人種差別に反対することを宣言した。大会規則も改訂し、ワールドカップの試合中に人種差別的な中傷をおこなうと最悪で失格処分もありうるという厳しい姿勢を打ち出している。その背景には、ヨーロッパのサッカー界に根強く残っている人種差別の問題が存在する。特にイタリアでの、アフリカ出身の選手に対する差別は相当なものらしい。したがって、本当に差別的な侮辱の言葉を吐いていたのだとすれば、マテラッツィ選手も処罰を免れることはできないだろう。
ジダンの頭突きという行為そのものは、レッドカードを食らっても仕方のないものではある。そのことを否定する気はさらさらない。しかし、たとえ挑発するためであるにせよ、人種差別的な侮辱は最悪である。FIFAは事実をしっかり調査し、しかるべき者にしかるべき処分をくだすべきだろう。
それにしても、あのジダン選手のヘッドバット、実にきれいに決まったなあ、と思ったのは僕だけだろうか。
彼の文章を読んだり、彼の言動を見聞きすればすぐにわかることだが、中田はきわめて知的で、かつきわめてまともな人間である。彼は絶対に思考停止に逃げ込むことはしない。今回のワールドカップでは「気持ちの問題だ」「ハングリーさが足りない」というような意味のことを何度も言っていたが、これとて単なる大日本体育会系の無意味かつヒステリックな根性主義とはまったくの別物だ。彼は日本代表の現状をきちんと分析し、その結果をふまえて、平均的な日本人にも理解しやすいように言葉を選んで言っただけなのである。しかし案の定、多くの日本人はそれを正しく理解しなかった。7月4日付の共同通信のニュースから引用してみよう。
「しかし、国際経験を重ね、引退を思い定めた最後のW杯前に行き着いたのは技術、戦術以前の戦う姿勢や気持ちの問題だった。」
なぜ技術や戦術「以前」の話になるのか。なぜ技術や戦術の話を勝手に脇に置いてしまうのか。これこそが多くの日本人がいまだに陥っている空疎かつ無意味なカミカゼ的精神至上主義である。これだから日本はいつまで経っても他国と正面からガチでやりあうことができないのだ。情けないを通り越して正直、気持ち悪い。
中田が言っているのはまったく違うことなのである。つまり、技術や戦術はすでに持っていることが大前提の話なのだ。だいたい、それがなければワールドカップの舞台になど上がることさえできない。中田は、高度な技術や戦術をきちんと身につけた上で、プラスアルファとして戦う姿勢や気持ちが必要だと言っているのだ。もちろん、ジーコが言っているのもまったく同じことである。ジーコの失敗は、おそらくはその点を誤算したことにあった。いや、もっとはっきり言えば、日本の選手を買いかぶりすぎてしまったのだ。中田と同じレベルでものごとを理解している選手がせめてあと2人いれば、チームは数倍ましなものになったかも知れないが、さすがにたったひとりでは無理がある。
中田はおそらく、今後ビジネスの世界に入っても、すぐ一流になることができるだろう。しかし日本サッカー界は、中田が抜けた穴を埋めるのに10年以上かかるのではないだろうか。オシム氏、もしかしたら今ごろ「しまった!」と思っているかも知れない。
日本のTV中継はとにかく気持ち悪かった。アナウンサーや、解説者と称する元選手たちがいろんなことを言っていたわけだが、必ずと言っていいほど最後は「とにかく〜しかない」という思考停止に陥っていた。ポジショニングとか戦術などの詳細な分析は無きに等しかった。
これはつまりは大日本帝国的ヒステリックかつ無責任な根性主義である。きちんと理性で考えて、明確なイメージをもって意志の力で行動するのではなく、何も考えずただやみくもにやっていれば、そのうちカミカゼが吹いてどうにかなるだろうという甘ったれた考え方である。それがもっとも露骨に出たのが第二次大戦だったわけだが、あいかわらず日本人は何も学んでいないというわけなのだ。
出張でロンドンに滞在していた時にもBBCだのITNだので長い時間を割いてワールドカップを取り上げていたが、そこでは実に詳細な分析と解説が行われていた。「とにかく〜しかない」などという、実際には何も言っていないに等しい馬鹿げた精神主義的な台詞は誰も言っていなかった。
日本人は過去の失敗から学んで次につなげていくということが決定的に下手である。何か失敗しても、結局は「済んだことは忘れて、気持ちを切り替える」とか「水に流す」とか「禊を済ます」などといったことで終わらせてしまい、積極的に忘れてしまおうとする。スポーツの世界や政治の世界では特に多い。なお悪いことに、無理に相手をとことん打ち負かして勝たなくても、そこそこ行ければいい、というような考え方さえある。だからいつまで経っても同じ間違いを繰り返すし、いつまで経っても世界で対等にやりあうことができない。
今の日本サッカーでそのような現状を明確に分かっていて、しかもそれを打破すべく実際に行動しているのは中田英寿
ここ数年ほど、陸上競技やスケートなどの個人競技ではまともな選手がかなり出てきたが、団体競技ではまだまだである。日本の団体競技の選手で、そういう真のプロ意識を持っているのは、中田の他にはイチローぐらいしかいないのではないだろうか。
まだまだ道は遠いと言わざるを得ない。














